平清水焼とは
平清水焼(ひらしみずやき)は山形県山形市平清水で焼かれる陶磁器です。江戸後期の文化年間に地主の丹羽治左衛門が茨城からの陶工、小野藤次平を招いて、地元千歳山の土を使って焼かせたのが始まり。伝承の上では円仁(慈覚大師)が千歳山の土を使って、焼き物を教えたとされています。
平清水焼の歴史・概要
「陶芸の里」として知られる 山形で最も古い歴史を持つ平清水焼
山形市の東南、千歳山(ちとせやま)の南麓が平清水の里です。文化年間(1804~1817)、常陸(ひたち)の国から来た小野藤次平(おのとうじへい)が陶祖と言われていますが、それ以前から焼き物が作られていたとも伝えられています。文政年間(1818~1829)、相馬藩の安倍覚左エ門(あべかくざえもん)がこの地を訪れて窯を開き、村内に相馬焼の手法が普及して窯業の一大集落へと発展。明治中期の最盛期には30軒を超えるまでに至りましたが、時代の変遷とともにその規模は縮小し、今では3窯元のみが残っています。
平清水焼の技法・特色
鉄分の多い原土を活かした焼き物が特徴
平清水焼は窯元によって、使う釉薬も技法も異なります。千歳山の原土は鉄分の多い硬い陶石で、陶器と磁器それぞれの成分となる土が採れたことから、両方の焼き物が作られてきました。かつては生活用品としての品が生産の中心でしたが、現在は主に石英粗面岩(せきえいそめんがん)が風化した丸山陶石(まるやまとうせき)を使い、窯元ごとに新たな方向性を求めています。
七右エ門窯では青みがかった梨肌が特徴の「梨青磁」や、つや消しの釉薬を使用した陶器が人気です。
七右エ門窯の特徴
民芸陶器の素朴な風合い
かつてはトイレに使用する衛生陶器、水がめや2斗すずなどの台所雑器と呼ばれた大型の陶器を製造、幅広い製品を手がけていた歴史をもつ窯元です。陶器に絵付けをする専門の職人もいましたが、時代の流れでその需要はなくなりました。現在は、作家性よりも職人の優れた手技に重点をおいて、花瓶やお皿、湯のみなどの、普段使いの食器類を主に生産しています。「民芸陶器」と看板にあるように、土味(つちあじ)を活かした素朴な風合いの陶器を特徴としています。平清水の、観光スポット的な役割を担う比較的規模の大きな窯元で、常時工房見学や焼き物教室を開催し、観光客のお土産として喜ばれています。年に数回使われる昔ながらの穴窯では、赤松を4日間焚き続け、自然釉の魅力ある作品が焼きあがります。
200年継承されてきた伝統の技術
約200年前より平清水焼の伝統の技術を守り続けてきた七右エ門窯。
それを受け継いだ熟練職人たちがひとつひとつ手作業で作品を造っています。
工房では職人の作業の様子を見学することが出来ます。
七右エ門窯の作品
店内では職人が造る陶器を常時300点以上展示販売しています。
湯呑、花器、食器などを多数取り揃えております。ご自宅用からご贈答・お土産品までお買物をお楽しみください。
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七右エ門窯 七代目 窯主
高橋 正
七右エ門窯七代目 高橋正です。
当窯のセールスポイントはやはり陶芸教室だと考えています。
友達や家族と作りながら笑顔、焼き上がりを見て笑顔、数年後、例えば結婚する時に荷物整理で見つけて笑顔。いらっしゃるお客様に笑顔になっていただける陶芸教室を目指し職人一同頑張っております。私事ですが...。
娘が幼稚園で作った小さい少し重いハート型のごはん茶碗を愛用しておりました。小学校3年生の頃、体もだいぶ大きくなってきた事もあり、私が新しい茶碗を作りプレゼントした所、喜んでくれたものの結局中学生までそのハート型の茶碗を使っていました。手作りとはそう言うものだと娘に学ばせてもらった出来事でした。ショップもお客様に飽きが来ないよう少しずつでも変化を付けながらディスプレイしていきたいですし、新作もドンドン作りたいと考えております。
いらして頂くお客様、働いている職人、皆様が笑顔になりますように。